稼ぎで選ばれているだけ、な気がする夜
ありがたいはずの「ちゃんとしてる」という言葉が、たまに刺さる。
3年前、当時付き合っていた子と西麻布の和食屋に行ったことがあった。彼女は近所のコンビニの店員で、コースで2人4万ほどのその店は、僕にとっても普段の店より少しだけ高い部類だった。出てきた料理を彼女は丁寧に写真に撮って「こんなお店、初めて」と何度か言った。
嬉しいはずだった。その夜の彼女の笑い方は、普段、仕事終わりに駅前で待ち合わせて会うときより、2段階くらい柔らかかった。でも帰りのタクシーの中で、僕は少しだけ引っかかっていた。
もし僕が同じ人間で、同じ話し方をして、同じ服を着ていて、ただ稼ぎが今の半分以下だったら、彼女は今夜こうして隣で笑ってくれていただろうか。
疑いたいわけじゃない。彼女のことは好きだったし、彼女が悪いわけでもない。コンビニのレジを打って帰ってきた彼女にとって西麻布の和食屋は、普段の自分より少し上の世界を少しだけ覗かせてくれる場所だっただけだ。
ただ「ちゃんとしてるね」と、彼女は何度か僕に言った。仕事の話をしたとき、部屋が綺麗だったとき、レシートをちゃんと取っていたとき。その「ちゃんとしてる」が、時々「ちゃんと稼げているね」と同じ意味に聞こえてしまう夜があった。
1年半付き合って、最後は彼女から別れを切り出された。理由はいろいろ重なっていた、と彼女は言った。僕が仕事で忙しくなりすぎたこと、連絡の頻度が落ちたこと、彼女が会いたい時に会えなくなったこと。並べられた理由のどれにも、反論できなかった。
別れてから時々考える。僕がもう少し稼げていない人間だったら、あの子は最後まで僕の隣にいてくれただろうか。逆にもう少し稼げていたら、僕はもっと時間を作れて、彼女と別れずに済んだんだろうか。
どっちも答えは出ない。
稼げている間は、誰かが隣にいてくれる、という感覚は今もある。でもそれが、僕という人間にくっついているのか、僕の口座残高にくっついているのかは、僕の側からは判別ができない。判別したい気持ちと判別したくない気持ちが、同じくらいの強さで夜中に同居している。
稼げなくなった日に、はじめて本当に好かれていたのかが分かる。それが分かる日を少しだけ怖がりながら、今日もまた角ハイを飲んで、明日のメールを開いている。
冷蔵庫を閉じて、ベッドに戻る。あの夜、西麻布から一緒にタクシーに乗った彼女は、今はもう別の誰かの隣で、違う店の料理を綺麗に写真に撮っているはずだった。
それを、そうかと思える自分は、3年前より少しは大人になっているのかもしれない。少しだけ。
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